六本木の国立新美術館にて、
「東京五美術大学連合 卒業・修了制作展」
が開催されています。
私の弟は美大生で、こちらに卒業制作を出展して
いたので、遊びに行ってきました。
国立新美術館は何度か行ったことがありましたが
こんなに展示品数が多いのははじめて。
広いスペースに、所狭しと作品が敷き詰められています。
その作品密度が、まずおもしろかったですね。
弟や弟の友達の作品を見て回り、それから全体を
ぐるっとまわりました。
学生一人につき一作品の展示なので、
通常の美術館での展示に比べて、作品から発せられるパワーが
強かったように思います。主張しています。
作品自体はどれも荒削りですが、一つ一つの作品が持つパワーに、
作品の密度の高さがかかって、かなりのエネルギーを
発している場でした。見て回るだけで体力使います。
荒削りなだけに、解釈の仕方がわからない作品も膨大にあります。
モダンアートとか、インスタレーションとか、パフォーマンスアートとか
そういう言い方をしてしまうと、もはや何でもありの世界です。
では、どうやって楽しめばよいのでしょうか。
最近ベストセラーになった、カート・ヴォネガット氏の遺作
”国のない男”において、よい絵と悪い絵の見分け方について
こんなことが書かれてありました。
「百万枚、絵を見るんだな。
そうすりゃ、間違えることはないよ」
「ローラースケートでルーブルをぐるぐるまわって、
『○、×、×、○、×、○』とか言ってみたいわ」
とのこと。確かにそうかもしれない。
今日は学生さんがつくったいくつかの作品について、
弟が解説をしてくれました。
解説を受けていると、アートの楽しみ方が
なんとなくわかってきます。
つまりアートとは、「ルールがわからないと楽しめないモノ」
なのだと思います。
スポーツや、ゲームと同じです。
アートの世界の一番のルールは、私は美術史だと考えています。
どういう歴史的背景があって、そこにどういうアーティスト本人の
オリジナリティが付け加えられているかを見るのが
アートの一つの楽しみ方ではないかと思いました。
コンテンツ(作品)を、コンテクスト(歴史)の中で読み解くということです。
日本古来のアートである「和歌」にも、「本歌取り」という趣向が
あるように、過去の系譜をうまく生かしつつ、塗り替えるという行為が
アートなのかもしれません。
美術史を勉強すると、もっとアートを深く楽しめるような気がします。
そういうことを考えていると、
村上隆 ”芸術起業論”
を、弟が勧めてくれました。弟は村上隆氏のスタイルにかなり
違和感を持っていますが、それでも勧めてくれた本なので、
きっと一読の価値ありでしょう。
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